【連載翻訳】ジェラール・ド・ネルヴァル「シルヴィ」(1)

 

 

ネルヴァル「シルヴィ」(日本語訳)–(1)ver. ß 0,2

 連載翻訳「シルヴィ」第一回のWebページを設けました(外部リンク、旧教養の道Webサイト内)。HTMLページ版の方が読みやすいと思います。

なるべくそちらでお読みくださるようお願いいたします。

 (なお旧教養の道Webサイト自体は、新サイトへの移行にともない他のコンテンツはありません)。

 

更新情報

June 27, 2017 訳文の内容を部分的に直し、訳註に加筆しました。ver. ß 0,2

 

 

 

ジェラール・ド・ネルヴァル「シルヴィ」(――ヴァロワの森の想い出)

 

Gerard de Nerval, « Sylvie. Souvenirs du Valois » (1853)*1

葉良 沐鳥 訳

 

 

 

 

©Museo Nacional de Arte Decorativo, Buenos Aire

 

 

 

 

I.見失われた夜 〔1830〕*2

 

その頃のわたしは、夜な夜なまるで求婚者とでもいった正装をして、ある劇場に通っては舞台際の特別席に姿を現していた。その夜も、芝居が終わり劇場から通りへ出ようと外に向かうところだった。

 

劇場は満員で大混雑のこともあれば、がらがらで空っぽのこともあった。と言ったところで、たかだか三十人の促成のファンに埋まった平土間に視線をやるなんて問題外であったし、桟敷席で英国風のボネや長リボンで着飾った古色蒼然とした身なりのご婦人方を見回したところでどうでもよいことであった。どの階のボックスも花で装飾され、宝石がきらめく、晴れやかな顔で満たされている。だけれども、興奮したかと思えばざわつく客席全体と一体であろうとすることなどどうでもよかった。客席の大形な衒いに無関心なわたしを、舞台の見世物が気を引くこともほとんどなかった。が、愁然とした当時の人気作の第二場か第三場で、あの周知のひとりの女優の登場、幽霊のように現れるその姿が、途端にこれら周囲の空ろな顔ぶれに、ただの一息と最初の一語で生気を取り戻させる時だけは別だった。

 

自分が彼女のなかに息づいていることを感じたし、彼女はただわたしだけのために生きていた。その微笑みが選ばれた者に与えられる至福の恍惚で全身を満足させる。ビブラートの声はかくも甘く軟らかくありながら強く響き渡り、聴く度にわたしの身体を歓喜と慈愛に震わせた。彼女は自分にとり欠点のない完全な美そのものであり、わたしのすべての熱狂と移り気、狂想に応えてくれた――脚光では照明の灯りに浮かぶ日輪のように美しく、照明が消されて天井の大シャンデリアの光の無数の条だけが残されると、夜の暗闇のなか仄かにランプに映し出されたかのように美しかった。より自然に彼女自身の美しさだけで影のなか輝きを放ち、季節〔時間〕の女神ホーライたちが額に星を飾り*3ヘルクラネウム〔ヴェスヴィオ火山の噴火で壊滅〕のフレスコ画の赤茶けた背景に浮かび上がるかのようであった。

 

もう一年になるというのに彼女はいったい何者であるのかを知ろうなどとゆめゆめ思うこともなかった。あの姿〔イマージュ〕を映し出してくれる魔法の鏡を曇らせてしまうことを惧れてのことだった。そこで、せいぜいは女優としての彼女ではなくて、女性としての彼女についての噂話には時折耳を傾けてみようとはしていた。エリス王妃やトレビゾンド姫をめぐる流言飛語ほどの風説しか知ることはできなかった。〔共和政革命政府から総裁政府へという〕政治の時代に先立つ革命前の一八世紀を生きて肌で知る叔父〔アントワーヌ・ブーシェ*4〕は、まだかなり幼かったわたしに忠告したことがある。女優というものは女性ではない。自然は女優たちに心をつくってやることを忘れてしまった、と。知り尽くすには体験しなければならないといった調子だった。伯父は往時の女優たちのことを思い起こしながら繰り返し語っていたのだろう。折あるごとに、自らの幻想の数々、同じ数だけの失望の物語をいくつも語り聞かせ、肖像画入りの象牙細工やあの頃も煙草入れにつけていた肖像を収めた素敵な蓋付ペンダント、黄ばんだ入場券、これら数々の色褪せて焔を失ったかつての熱情の形見の品をもちだしてはわたしに見せて、歴史物語を紡ぎ出しては、収支決算を総括した。忠告のくぎを刺すには、あまりにもたくさんの品々とその物語であったため、わたしは時間の順序〔時代の秩序〕というものを考慮することなく、なんでもかんでも一緒くたに考えてしまうように育ってしまった。

 

あの劇場に通った日々、わたしたちは奇妙な時代を生きていた。通常は、革命や大治世の失墜につづくような時代のことだ。もはやフロンドの乱〔一六四八―一六五三〕で英雄の雅を気取る時代でもなければ、王政復古の摂政時代〔一七一五―一七二三〕のように優美な悪徳をしつらえるといったわけでもなく、総裁政府時代〔一七九五―一七九九〕の懐疑主義と大饗宴のないまぜというのでももはやなかった。活気と躊躇、怠惰の混淆、輝けるユートピア、哲学や宗教への渇望、あいまいな熱狂にある種の生まれ変わりの願望が滲み込んでいた。ペレグリヌス〔・プロテウス〕とアプレイウスの時代とどこか似ていた〔紀元後二世紀、ローマ〕。物質的人間は薔薇の花束を切望し、花束が女神イシスの美妙な手で自らを蘇生させてくれるはずだと信じていた。女神イシス、永遠にして若く純潔で、夜になるとわたしたちを訪れて、日中の無駄に失った時間を羞じ入らせるのだった。

かといって、〔ナポレオン帝政時代や王政復古期の〕野心*5はわたしたちの世代のものではなく、地位や名声の欲深い奪い合いはあの頃では自分たちの行動の範囲から遠く離れていた。〔世紀病世代の〕わたしたちに残されたものは、かの詩人たちの象牙の塔*6しかなかった。それだけが、安息の避難所だった。群集から孤絶し、大衆から逃げようと、どこまでも高くへと昇りつづけていた。先人たる巨匠たちの導きで到達した高みで、やっとわたしたちは澄み渡る孤独の新鮮な空気を吸い、ギリシアやケルトから、円卓物語へと、数々の聖杯伝説で語られていたあの黄金の杯に注がれた忘却を呑み干しては、詩と恋に酔いしれていた。しかし、恋とは!掴みきれないその姿、薔薇色と縹色とに染められて表裏もつかない、形而上学的な恋、これがわたしの経験した恋なのである。そばで見れば現実の女性はわたしたちの天真爛漫さを憤慨させる。女性は、王妃か女神のように現れなければならなかったのであり、とりわけ近づいてはいけないものなのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――

*1 一八五三年、『両世界誌』(Revue des deux mondes, 15 août 1853)掲載、翌年『火の娘たち』に収録、刊行。この翻訳では、Gérard de Nerval, Les filles du feu, nouvelle édition, Paris, Michel Lévy frères, 1856を底本とし、Oeuvres complètes, tome XI, édition de Jean-Nicolas Illouz avec la collaboration de Jean-Luc Steinmetz, Paris, Classiques Garnier, 2015及び  Oeuvres complètes, tome III, textes établis sous la direction de Jean Guillaume et de Claude Pichois en collaboration de Michel Brix, Jacques Bony, Max Milner, Jean- Luc Steinmetz et d'autres, Paris, Gallimard (collection Bibliothèque de La Pléiade), 1993を主に参照した。それぞれの全集版の校訂や註釈を参照する場合、OC.と NPl の略号を用い、相当する巻とページ数のみを記す。OC. XI, NPl III 等

*2 各章の小見しの後ろにある暦年は、原文にはない。ネルヴァルが物語内に設定した時期を、訳者が大まかに推定したもの。解説を参照。

*3 額の星については、ジョゼフ・ポレ(Joseph Pollet, 1814-1870)による彫刻作品、一八四八年(石膏)及び一八五〇年(大理石)の「サロン」での出展作、「夜のホーラ」に着想を得たとされている(Pléiade, pp.1218-1219)。一八五五年の万博出展作のブロンズほか同様のものが多数ある。この彫刻作品は、タイトルにただ《 Une heure de la nuit 》とだけ付けられている。フランス語の《 heure 》は「時間」、英語の hour に相当する語で、タイトルを通常に読めば「深夜一時」ないし「夜の一時」となる。この《 heure 》はまた、時の女神ホーラのフランス語名でもあるが、ポレの連作では小文字で記されている(固有名詞は通常大文字)。それであるのに作品は見紛うことのない「ただひとりのホーラ」という不思議なものだ。ネルヴァルのなかで、「深夜一時(une heure)」の、複数(三から十二人の女神ホーライ les Heures)にして、それはただひとりのホーラ(une heure)と解釈されたことは間違いない。ホーライがローマ時代に十二人となった背景には、水時計から日時計への一般化と文字盤の普及、人びとの生活が季節リズムから時間へと変遷したことなどが考えられる。『ネルヴァル翻訳選集』収録の詩「アルテミス」及び解説を参照されたい。

*4 ネルヴァル(ジェラール・ラブリュニー)が十代までの多くを過ごした母方の大叔父 Antoine Boucher (1759–1820)のことと推定される。フランス革命前の一七八〇年代前半に、二十歳前後。 本書と密接に関連する遺作『オーレリア』でも重要性をもつ。OC., p.168, note 4にも指摘されている。A・ブーシェは、『幻視者たち〔異端思想者伝〕』の序文、「わたしの伯父の蔵書」(« La Bibliothèque de mon oncle »)ので描かれている書庫のもち主その人と一般にされてきた。ただし、二〇世紀後半から異論も出てきた。異端思想と神秘主義に傾倒した書庫のもち主をブーシェのこととする説に対して、父方の大叔父ジェラール・デュブラン本人の蔵書とするジャン・ジーグレール(Jean Ziegle, NPl II, p.1714 note)やクリスティアン・ベス=セージュ(Christian Besse-Saige, Saint-Germain-en-Laye et son château dans l'oeuvre de Nerval,Saint-Ouen-du-Tilleul, France charme publications, 2002)、その友人のヴァッサル医師のものとする分析(Edouard Peyrouzet, Gérard de Nerval inconnu, Paris, J. Corti, 1965)、ネルヴァルの父エティエンヌ・ラブリュニー当人のものとする研究(Claude Pichois et Michel Brix, Gérard de Nerval, Fayard, 1995)など。ヴァッサン医師の娘は、デュブランの二男の婚姻相手で、両者を結びつけたのはフリーメーソン会員であったことだとされている。訳者自身は、一次資料にあたり時間をかけて調べたわけではないものの、上記四者の蔵書が混在してネルヴァルに影響を与え、「わたしの叔父の蔵書」も、記憶の意図的混淆 のなかから書かれたと考えている。父エティエンヌの死後、遺産目録から発見された蔵書は、ピショワとブリックスの研究で詳細にされている。そのなかの蔵書類は膨大であり、医学関係と思想・文学に分けられる。後者にはルソーやヴォルテールも含まれている。ただし、パリの実家であるアパルトマンは途中親戚に譲られたり、デュブランもパリの店舗等を息子たちに譲りと、継承を判然とできない経緯がある。またヴァッサン医師は、パリでエティエンヌ・ラブリュニーのごく近所の同業者である。少年ジェラールがそれぞれの蔵書に触れる機会があったことは否定できない。ブーシェ家の大叔父と大叔母(代母)は、ネルヴァルの幼少期から十代前半までの記憶で、特権的な位置を占めていて、成長の過程で大きな影響を受けた。ネルヴァルの人生と作品に影響を与えたもうひとりの大人の男性が、父方の大叔父である代父(名親)で薬剤師のジェラール・デュブランだとされている。父の不在時には母方の祖父ピエール・ローランやブーシェ家に預けられ、多くの十代の時期をヴァロワ地方のモルトフォンテーヌ村とその周辺で過ごし、より少なくはあってもサン=ジェルマン=アン=レーに隠遁したデュブラン家で過ごした。比較的裕福だったと考えられるジェラール・デュブランは、パリの薬局、オフィスを息子たちに譲り、一八一八年にサン=ジェルマン=アン=レーに妻と隠遁する。当時一〇歳だったジェラール・ラブリュニー〔ネルヴァル〕は、この時に半ばサン=ジェルマン=アン=レーのデュブラン家に引き取られるかたちとなる。元々、母を喪い、北方の戦線から帰国後にパリのアパルトマンに住む父も留守がちで、多くの時間をヴァロワ地方で過ごし、育てられていたジェラール・ラブリュニーに、サン=ジェルマン=アン=レーのジェラール・デュブランの家が加わり、ヴァロワとサン=ジェルマンを行き来しながら、一八二八年にゲーテ『ファウスト』第一部の翻訳で文壇にデビューするまでの十代を、学校(シャルルマーニュ王立中高等学校)のためのパリのほかは、ふたつの地方で過ごした。

*5 この時代背景を知るための書物のひとつに、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ=クリスト伯」(邦訳多数)がある。Alexandre Dumas, avec la collaboration d'Auguste Maquet et d'autres, Le Comte de Monte-Cristo, paru en feuilleton dans Le Journal des débats, 1844-1846, puis publié en 6 volumes, à Paris, par la maison d'édition Michel Lévy frères, 1846.

*6 「粋な放浪生活」及び『ボヘミアの小さな城たち』、『散歩と回想』を参照。

 

 

 

 

 

Horae serenae

Horae Serenae

Sir Edward John Poynter (1894)

Britishl Museum and Art Gallery

Painting - oil on canvas

 

 

 

 

 

 

 

Nerval

 「特別席」と訳した《 avant-scène 》

La Première d’Hernani

Albert Besnard (1903)

Maison de Victor Hugo  (Encyclopédie Larousse より)

 

                                      Nerval

   肖像写真は、Gérard de Nerval, photographie prise par Nadar vers 1854 (©BNf)

 

                                                     ※ 訳者所有のものは、約4.8×3.2

 

 

 

 

 当時の女性の流行服。帽子、英国風等。

 

 

Mode1820bonnetreduie

 

Costumes Parisiens – 1824

Bonnet de mousseline. Blouse d’organdy. Capote de gros de Naples. Robe de toile à pèlerine dentelée.

(Passe Over, http://passe-present.over-blog.com/article-la-mode-au-debut-du-xixe-siecle-65084087.html)

 

 

 

 

 

 Mode1833

 

 Le Follet Courrier des Salons,in Lady’s Magazine, septembre, 1833.

 

 

 

 

 

 Marbre1853 pollet une heure de la nuit

 

1853年頃制作と推定されるポレ「夜のホーラ」(大理石)

Museo Nacional de Arte Decorativo, Buenos Aire

 

 

 

Pollet pradier salon 1850

ギュスターヴ・ル・グレイによる1850年の「サロン」写真

Gustave Le Gray

Vue du Salon de 1850-1851

entre 1850 et 1851

épreuve sur papier salé à partir d’un négatif papier, contrecollée sur carton

H. 0.155 ; L. 0.252

Le musée d’Orsay, Paris.

 

 

 

 

 


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«フランス語で論文等を書く場合の引用スタイルや略語の「問題」

【銘】

  • 主と栖と無常を争ふさま、いはばあさがほの露の異ならず

  • 粗暴になることなく、きまりにしたがって、公正なしかたで他人を導く人は、正義を守る人であり、道を実践する人であり、聡明な人であるといわれる。(釈尊、中村元訳)


  • 人生無根蒂 飄如陌上塵 分散逐風轉 此已非常身   

    (陶淵明「雑詩)

     

【詩とことば】

  • あなたはまだゐる其処にゐる

    あなたは万物となるて私に満ちる


    私はあなたの愛に値しないと思ふけれど

    あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

    昭和一四・七

     

    (高村光太郎「亡き人に」、『智恵子抄』より)


    わたしの心の静寂は血で買つた宝である

    あなたには解りやうのない血を犠牲にした宝である

    この静寂は私の生命であり

    この静寂は私の神である


     (同「おそれ」、同)


    わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し

    として二人をつつむこの天地と一つになった。

    昭和一三・六

     (同「山麓の二人」、同)



  • ぢつとして
    黒はた赤のインク吸ひ
    堅くかわける海綿を見る

    誰が見ても
    われをなつかしくなるごとき
    長き手紙を書きたき夕

    うすみどり
    飮めば身體が水のごと透きとほるてふ
    藥はなきか
    […]

    あたらしき心もとめて
    名も知れぬ
    街など今日もさまよひて來ぬ
    (石川啄木「一握の砂」より」

  • 君たちなんか眼中にない——彼が見つめるのは、ひたすら星また星。(ニーチェ「嫉妬なし」、森一郎訳)

     

     

  • -

    情けも過ぐれば仇となる

  • 僕の後ろに道はない

    僕の後ろに道は出来る

    ああ、自然よ

    父よ

    僕をひとり立ちにさせた広大な父よ

    僕から目を離さないで守る事をせよ

    常に父の気魄を僕に充たせよ

    この遠い道程のため

    この遠い道程のため

     

    (高村光太郎「道程」、1914,2)

     

     

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  • Si Loin de Toi
    Pit Bacardi / Produced by Neg' Marrons & Pit Baccardi: Pit Baccardi

    コート・ダジュールのまっ青な海をかっさらおうなんてしなかった

    俺は海辺に座って、青い海をうっとり見つめていたんだ、そうさほんとうに

    一番たいせつなものを分かち合いたかったんだ

    それを奪おうなんて思わずによ、だって奴のたいせつなものなんだぜ

    愛しているのにいないだなんて、火をかき立てる風みたいだぜ

    小さい焔を消して、でかいのを燃やす あんたが恋しい

    (★★★★)

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