3.21 「道義的責任を取れ!」
3.21
森友学園問題がもち上がり、「道義的責任」ということばが飛び交っている。
わたしはかつて、病気になったことを、おまえの「道義的責任」を取れと迫られたことがある。しかも「道義国家」を提唱する者たちと同じような理解で、まともに「道義」を理解しているのかどうか、いくら話しても論理の通じない相手であった。
もうなにが起きてもおかしくない環境に慣れてしまったのか、このこと自体が驚愕すべきことであるのに、わたしの怒りはよそに向いていた。アシスタント宛のメールは、わたしがたいせつな私信としてその者に宛てたものへの返信として出された。そのままに一斉返信で出したものだった。
相手が本気で熱心に信仰しているキリスト教徒だとすっかり騙されてしまい、油断があったのだろう。よりによって、このような相手を信頼しまともに議論をしていたとは。法律を守って欲しい、約束も守って欲しいと半年近くお願いしつづけた。弱ることは危険だ。もっと身心を鍛えなければならない。
内奥の〈思い〉までメールに書いてしまった。その返事はついぞ来なかった。そして、代わりに来たのが唐突なわたし自身の「欠勤・休職願い」の頭ごなしの指示であった。
そんなことがいったいあるのか?と思う人間がほとんどだろう。誰に話したところで無駄だろう。昔から、15年前から、どんな風説を流され、どんな世間の誤解があれ、説明することが億劫になってしまっている。天はすべて起きたことを事実のとおり真実に知っている、それでよいと。また日記は自己を複数化することに役立つ。対話の代わりになり、生じたことを理解し、客観的事実として認めることの手助けをする。
「そんなこと」さえたしかにあったことを自分では分かっている。しかも、いま読むと、わたしの文面は猛っている。当時は呼吸の苦しさだけを感じていたものの、かなり怒っていたのだろう。
差出人: 原宏之 <hiro@ >
送信日時: 2015年9月17日 4:19
本人の意思・同意確認より先に、欠勤に向けての指示を出す
たぶん、とんでもないことをつづけてきたので、ルール感覚が麻痺なさっている
Envoyé à partir d'OWA iPad
いや、前日九時からやりとりしていたのか。すでにわたしは怒っていた。
On Wed, Sep 16, 2015 at 8:59 PM -0700, "原宏之" <hiro@ > wrote:
わざとボケているんでしょうけれども、そうじゃないでしょう。
まず、こちらから申し入れたことに答えなきゃ。
秋学期のことは、
返事がないので、こちらは対応のしようがなく、困っていたら、
授業前日にこのメール
えっ?という感じ
さすがに越権行為でしょう。
授業前日に頭ごなしの強制欠勤指示、書類は過去のものを使うように、場合によっては「こちらで作文をする」と、自分の存在を無視されたことに怒っているのだろうか。
――「それから、総務課に提出する「欠勤届」があり、とりあえずこちらで作成提出しておきます」
こんな馬鹿げたことをやられたら、法治国家である以上、わたしは声を上げるだろう――とはいえ、自分は数々の自らが被害者である行為を黙り込むことで、黙認してきたのではないか?――いや、法律に基づくよう常にその都度本人には促してきた。
彼にはあの年の4月から説得をつづけてきた。申請した書類を受理した後で、いともたやすいことかのように立ち話で、申請を自ら取り下げるよう迫ってきた。申請した書類は、自分ひとりならず、家族三名——内一名は二度の手術を経て寿命を全うしようとしている——に関わる大事なものだった。ところがこの方は、わたしが取り下げに応じないからといって、教授会に諮ることなく密かに握り潰してしまった。その後、教授会で五ヶ月間ウソでデタラメの説明をつづけた。大学側は「総務課に書類が提出されていない限り大学としてはどうしようもない」とのこれ以上およそ想像のつかないありきたりで機械的な返答と弁明を繰り返した。その総務課に提出すべき書類は教授会の承認なしには入手できず、教授会に諮ることをあの者が阻止しつづけて、私文書とは言え教授会に提出する義務のある一筆を握り潰してしまった。そうしたなかでいったいどのように総務課に書類を提出できるというのだろうか。
受理したものは教授会で審議しなければならない。棄却するのは教授会の判断であり、あなたの権限ではない。そもそもなぜ取り下げよと急に言うのか。わたしは呈示された基準に従い、過失ない手続きにより申請しただけではないか。教授会で承認された上で、事務窓口で正式な書類を受け取る。記入して、正式に申請したとしても、評議会や理事会で反対されて通らないこともあるだろう。それでも、ルール、規程、法律により、まず教授会に諮らなければ、申請用紙すらもらえない。
そこで、もちだされたのが〈道義的責任〉論だった。
とある会議の休憩時間に彼は人払いをしてふたりきりになってから、唐突に申請書類を自分の意志で取り下げるよう迫ってきた。
あたりまえのことながらそんなことはできないと答え、議論となった。相手は意気込んでいると見せようとしたかもしれないけれども、そうした暴力には不思議と怯えない。
そのうちに、「評議会に自分で根回しができるのか」と、理路整然としない話になってきた。わたしが話しているのは預けた一筆をきちんと教授会に提出してくれという話であり、法(規程)の上で瑕疵のないこの一筆をめぐる話のなかで、なにを唐突に頭ごなしに評議会なのか、説明もないのでさっぱり分からなくなった。教授会で承認された後に評議会で否決されたからといって、わたしにも、他の誰にも迷惑がかかる話ではないのに、先走りして評議会に根回しをしなければ、この者は教授会の審議にかけるとの自らの法的拘束ある役割をなさないというのか。いまも分からないでいる。
申請の手続きが瑕疵なく行われ、センター長は受理しているのだから、あとのあなたの仕事は教授会に申請内容を諮るため審議に上げるだけだ。なにが「根回ししろ」なのか、あなたがすることに対して、誰になにを根回したらよいのかと、皆目訳の分からない状況となった。申請の取り下げを強硬に迫っても、わたしが取り下げないので動揺し、狼狽しているかのようでもあった。パニックに陥り、わけのわからないことばを発しているというありさまだった。
そこで、議論が紛糾したときに出されたことばが、「病気になったことの道義的責任がある」、それはどのように責任を取るつもりなのかとの非難であった。
規程にも申し合わせにもないことを、あなたはなぜ押し通そうとなさるのかとこちらが反論したので、先方は返答に窮して口走っただけかもしれない――「規程にも申し合わせにもないけれども……」。それにしても〈道義的責任〉とは。
道義的責任とは、言うまでもなく、法的責任を超えてなお罪あること、人として犯してはならない決定的な罪を咎めることばである。「背徳者よ!」というのと同じである。
だが、憤りや法的要求は別として、あの時の〈怒り〉の源は別のところにあったのだろう。常日頃、怒りは毒と戒めていても、湧き出すような怒りがあった。
あのアシスタント宛のメールを受け取ったときの衝撃が眼から離れない。
個人的な事情を、少なくとも教員数名、アシスタントにCCで撒き散らされてしまった。よりによって日常的に顔を合わせる相手ではないか。これで、本格的に職場の扉が閉ざされた思いがした*[1]。
しかも教授会の規程や申し合わせを無視しつづけて好き勝手な人事をやってきたために、アシスタントだって一ヶ月、半年、一年ももった偉いねと、みんな辞めていってしまったではないか。あなたのごく小さな研究室の後輩が、いつの間にか教授会成員の6%以上を占めていることをどう説明するのか。
法律上も道義的にもなんら罪のないことではあるものの、周囲の人間に知られたくないこともある。わたしが心を決して書いたメールへの本人からの返事はついぞなかった。電話もこちらから入れなければ連絡が取れない状態となった。宗教者たる者……と思いこんでしまい、周囲の悪評をまさかと真に受けなかった自分が愚かだったというべきか。キリスト教学を若者に説く者が平気で嘘をついたり、私文書を握り潰したり、権力欲にかられて法律を無視したりするなど考えも及ばなかった。わたしはまだまだ甘かったと言わねばならない。よい教訓にはなったけとはいえ。
「貝」となって、おとなしくともかく働こうとしている者に、いったいなにを慌てて、あれこれの乱暴を振るうというのか?
この件で決定的にわたしは15年間正常化のために尽くした職場になんの将来もないことを覚ってしまった。そうなると学生への不利益も解消されないことが明らかとなった。初習フランス語の履修生全員、とりわけ国際学科のフランス語履修生の不利益は改善されないことになる。このように追い詰めること、もしかしたらこれが狙いだったのか?とさえ思った。本人の頭上をスルーした欠勤届であっても、結果としてわたしが職場から遠ざかることになれば、自分の行いが正当化されるからだ。
〈病気を患うこと〉が道義心を欠いている場合もある。
忙しい時期に、体調管理を怠ったり、酒を飲み過ぎたり、無茶をして病気になったのであるならば、その者は配慮に欠けている。自らが病気となり、周囲の者に迷惑をかけることになると用心しなかったか、病気にはならないと過信して限度を超えないよう自制しなかったか。どちらにせよ、罪や背徳とまで言わなくても、「落ち度」があり、過失の責任があるとされてもいたしかたない。
迷惑をかけるリスクを知りながら、やってしまい、現実に病気となった。実際に周囲に迷惑をかけた。その際、軽率な行為を咎められても、十全に反論することはなしがたい。
ところが、当時部局の長に相当する役職を占めていた者が、わたしに対して病気になったことの「道義的責任」を取れと迫ったのは、まったくそのような状況でのことではなかった。
しかも「病気」になってから、何年も時が経ってから不意打ちのようにやって来た。
その者がいうところの「病気」とは、彼自身が職務をきちんと果たしていれば、わたしは余計なストレスまみれになることもなく、患わずに済んだものであった。十年以上前にも、環境の調整が必要だと告げた。その者が、調整の義務を国内法上負う立場になってからは、四回か五回はやらなければならない、やってくれと伝えたはずだ。その要求とはただひとつ次のことだったではないか――「初習フランス語の管理・運営の主体と実態がセンター及び原にはないことを、せめてセンター教授会成員には明らかにして欲しい」。この者は約束を反故にした。
笑止千万といきたかったはずだ。だが、当時のわたしには笑う気力などなかった。ともかく茶番劇はもう止めにして欲しいという願いしかなかった。
非常勤講師人事ひとつをとっても、よそから来て、センター語学主任に渡され、その主任が読み上げる経歴書で、センター教授会の他の同僚と一緒にそこで初めてわたしは初習フランス語非常勤人事を知る。これが運営主体の姿だろうか。わたしが彼にお願いしたのは、初習フランス語の運営や管理の権限を、こちらに欲しいなどという大それた話ではない。ただ、教養教育センター同僚には知っておいてもらわないと、とても職務が果たせない。誤解だけではなく、非難までわたしのところに来る。原は初習フランス語担当の唯一の教員であるはずなのに、なぜちゃんとフランス語関連の仕事をしない!なぜ、教養教育センター共同研には、外国語科目のうちフランス語だけ語学検定パンフレットも置いていないのか?なにも説明できない。ほんとうは学生にも知っておいてもらわないとならない。だけれども、なにがなんでも歴代センター長と主任は事実、実態を漏洩したくないらしいことを知っていたので、そこまでも求めない。アシスタントには誤解されていても仕方ない。教養教育センター教授会成員にはせめて事実を共有してもらいたい、ただこれだけの職場環境調整のお願いである。
尊大だろうか?非常勤講師人事についても、わたしは無能ではないと思っている。他の科目での人事では、一年から二年で、他大学に専任として決まったり、有名な賞をもらったり、あまりよい条件ではないのに協力してくれる非常勤講師にはただそのことだけを自分への言い訳にやってきたのではないか。全国、外国にいまでは飛び立ったかつての非常勤講師同僚たちは、いまではそれぞれ名だたる大御所、有名どころではないか。
国際学科のフランス語を管理するようになり全面的に運営と人事を見直した。履修生は年々倍増した。ところがクラス増が認められない。パンフレットで謳う外国語教育の少人数制、20名以下どころではない。50名を超えているではないか。学生たちにどのように説明するのか。
環境調整のお願い、ただわずか事実を限られた範囲で共有、しかも身近な同僚にはとのお願いは、叶えられず、約束は反故にされた。いくら待っても教授会で言及してくれないので、半年以上過ぎてから、一年以上だったか、わたしは自ら議長である彼に質問したのだった。
――「本学初習フランス語のカリキュラム、運営、人事をめぐる権限と責任の実態はどの部局にありますか」?
――「それはもちろん教養教育センターに決まっているではないですか」!
この者はここでもウソをついた。
実態を隠蔽してきたために、初習フランス語関係の相談やクレームはもちろんわたしのところに来る。センターに無駄足を運んでやって来た学生たちに、無力でなにもできず、ずっと申し訳ない気もちでいる。ほんとうに済まない。
教養教育センターが初習フランス語の責任を負っているとなると、センターでフランス語を教えているのはわたしだけであるのだから、わたしが責任を負っていることになるのだろう。そんな馬鹿な話はあり得ない。わたしのあずかり知らない非常勤講師人事で、なにか問題が生じたらわたしに責任を取れというのだろうか。
同じことを何度も依頼することには慣れていた。ある学科での特定の教育を任された後、大々的な改革をしたところ、履修者が毎年大幅に増加した。規程通りの一クラスあたりの履修者数に収めなければ学生に不利益が生じる。すでに履修者数は規程の倍となっていた。このときには、担当主任に5回、6回、クラス増を願い出た。すべて却下された。そこで、この長にも願い出てみた。返答はなかった。もう放っておこうと思ったときに、実務に携わる職員から「このままの履修者数でクラス編成をしてよいのか」という疑問が出された。どのような処理が長と主任とでなされたかは知らないが、それから2週間後に標準的な履修者数に調整されていた(初習フランス語に関する業務連絡は2008年以降、わたしのところにはいっさいない)。
自分自身のポスト(学内・文科行政)の情報開示も13年間願い出た。
ただ、いかに忍耐づよい自分であっても、初習フランス語運営の実態をセンター同僚すら知らないなかでやっていける だろうか。すっかり弱気になったのは、あのときだったのだろうか。それとも法も道理もない世界に絶望したのだっただろうか。
法律というものは、論理的思考をする能力をもっている者にしか理解できない。道義も同じである。法(ルール)や道義に反するといくら相手を責めても、「いったい自分のどこが悪いのか?」とまったく理解しない人間もいる。こうした人間と長く、繰り返し、同じことを議論していると大きくエネルギーを消耗する。議論しても無駄であることが見えてしまっているので、なんとか理解してもらえるように説明を積み重ねようという意欲が消えてゆく。
間抜けな話であったとしても、「道義的責任」ということばには重みがあり、やはりひとを突き刺すようなことばなので、それ以来のしばらく、わたしは〈病気になることは罪である〉と思い込むようになった。さらに、かつて病気を患った自分を罪人のように感じ、疚しく感じ、常に恥じて歩くようになっていた。
結局わたしは、「道義的責任」により、非公式の懲罰を受けた。要する私刑。私刑とはいかなる〈法〉にも則ることのない懲罰ないし制裁を意味する。〈法〉とその執行機関に法の行使を委ねることなく、立場を利用して個人ないし集団が力により懲罰や制裁を加えることである。「罪状」は、よく分からない。これまで尽力してきた身としては呆れるしかない。これ以上話しても無駄だと、数年間の粘り強いことばによる交渉の働きかけと、足蹴にされたそれらの労力がまるで無意味であったことを知り、疲労がどっと出た。いったいなんの功労によるのか、この者は翌年度4月よりめでたく理事役付副学長となった。
わたしに「道義的責任」を講釈した人物は、若者に宗教の教えを講じる立場にあり、宗教には当然のことながら、正しいことと悪いこと、善悪の区別が含まれる。世俗的な倫理学と宗教的な倫理学とがある。
ほかにも多々、二枚舌で、他人にもウソを強要する人物ではあったけれども、彼が若者に正しいことと悪いことを教育する立場を思えば、愕然とし、ある種の恐怖感を覚えたこと、その教えに従う若者の前途を思い暗い気もちになったことが忘れられない。いやそれは怒りだった。大学を学生をどうしてくれるんだ。わたしの最後の内心の叫びは、「あんたがキリスト教学教師だなんて〔大学に対して、キリスト教に対して〕恥ずかしい!」だったか。
– Journal de deuil –requieme pour lequel ?
[1] もともと前月の新入生ガイダンスの席上、元センター長が発した「原さんだって大学教授になれたんだから、だいじょうぶですよみなさん」ということばが妙に気にかかるほど疲れていた――わたしはこのひとに重宝なのか重用なのか、ずいぶんと使われてきた。シャキッとするのは授業、教室の場でだけ。みっともない姿をさらさないよう、非常階段を伝って移動していた。あの頃のわたしは身心ともに消耗し尽くしていた。
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